【うつ病の人へ、家族のかたへ】うつ病になった私が回復した今、思うこと
こんにちは。yuki(nyaian)です。
当ブログは、現在の仕事(ライター)、大好きな美容関連をメインにしています。しかし2019.6〜Twitterで色々な方と出会うなかで、うつ病の方が多いと知りました。
今、うつ病でもがいている方、身近な方がうつ病になった方に向けて、ひとつのケースとして私の体験を伝えられたら…そんな気持ちでこのブログを書いています。
私は医師ではありません。
カウンセラーでもありません。
もちろん、心理学者でもありません。
ですから、うつ病になるメカニズムや、うつ病に良い治療法を詳しく書くことはできません
私が伝えられるのは、うつ病になったとき、社会復帰した後に何を思ったか、感じたかなどです。
今では、うつ病だったと伝えると「うそでしょ?」と言われるくらい元気です。
信じてくれない人もいます。
薬も2018年夏に終了しました。
そんな私にどんなことがあったのか、そして「今、思うこと」を書いていきます
記憶が薄れている部分やあいまいな部分もありますが、しばし、おつきあいくださいませ。
28歳でうつ病になった
私がうつ病になったのは28歳の時です。
引き金になった詳しい事情は書きませんが、仕事の人間関係でしんどくなっていたところに、当時おつきあいしていた方との別れ、外出先でアパートの鍵と保険証の盗難と、ストレスがどーんとかかりました。
まず眠れなくなった
住所が書いてある保険証と鍵をワンセットで盗まれたので、犯人がくるのではないかとビクビクしていました。すぐに鍵は交換しましたが、それでもたまらなく不安でした。
さらに、仕事の人間関係に疲れて帰宅して「1日仕事が終わったのに明日が来るのか」と苦しい日々。少しずつ、夜眠れなくなりました。
盗難事件から2週間、ついに限界が来て引っ越しを敢行。
お金もなくなり、精神的にどんどん追い詰められました。
通勤電車に乗れなくなった
眠れない状態で仕事に行く→ミスが増える→他のスタッフに迷惑→人間関係がさらに悪化→眠れないの悪循環ループにはまった私。
「また嫌味を言われるかも」と考えると、通勤電車の中で泣き出す、体の震えがとまらないなど、会社が近づくにつれて何らかの症状があらわれて、途中下車を繰り返しました。
過呼吸、吐き気、めまいなど、数々の症状がでて、とうとう改札を通過できなくなりました。
朝起きたらカミソリがあった
ある日、朝起きたらカミソリが落ちていました。
よく見ると自分の腕に無数の切り傷が。そのときはじめて「ああ、病院に行こう」と思ったのです。
医師のアドバイスを受けて、心身ともに休むために休職しました。不眠などの症状が出てから4ヶ月後のことでした。
当時は、
- 光がイヤ→昼でもカーテン締め切り
- 音がイヤ→携帯の電源オフ
- 食べるのがイヤ→お酒とタバコだけの日も
うつ病でどん底だったときは、何度か「これで死ねるかチャレンジ」みたいなこともした記憶があります。
家族と友が私を救い出した
正直、誰にも何も聞かれたくないし、話したくもない、会いたくない状態でした。
しかし、そんなことはおかまいなしで私に会いに来てくれた友が2人。
私が死んだ魚の目でぼーっとしている横にいて、何気ないおしゃべりをしてくれました。
今思えば相当最悪な態度だった私。
それでも見捨てずに、何度か会いに来てくれたのを覚えています。
遠く離れた心の友は、押し付けがましくないエールのメールをくれました。
返信不要で良いと。むしろ休んでいいんだよ、頑張らなくていいんだよと私に教えてくれました。
そして、母と妹。妹は心理学のスペシャリスト?なのですが、彼女が「このままだと死ぬから、実家に連れもどせ」と母に助言。
母からの連絡は「引っ越し代、振り込んだから帰っておいで」でした。
都会での暮らしにも疲れていたので、田舎に戻ってのんびりしようと…そんなことを考える余裕はありませんでした。
あ、お金払ったの?じゃあ、引っ越す。ただそれだけの気持ちでした。
毎日夕日を眺めて暮らす
実家に戻って1年半近くは、何もせずパジャマで過ごしていました。
うつ病真っ只中で30歳を迎え、29歳の頃の思い出はほとんどありません。
昼は眠り、夕方なると愛犬と玄関に座り、沈む夕日を眺め、また眠る。
とにかく眠っていたと思います。
少しずつ回復
実家に戻ってから、母は私をそっとしておいてくれました。〇〇しなきゃダメ!とか頑張れとか言わず、ただそこにいてくれたのです。
また、うつ病についてとてもよく勉強してくれました。
「うつ病は気の持ちよう」という人もいます。私も実際、自分はなんて弱いんだと自分を責めました。
ですが母は「うつ病は、体に必要な物質が分泌されない病気だからね。気の持ちようじゃないんだよ」と何度も言葉にしてくれました。
今、思うこと
ここまで、やはり長くなってしまいました。お付き合いいただきありがとうございます。
あのとき、家族と友がいなかったら、私は今、こうしてブログを書くこともなかったでしょう。
- 妹の助言がなかったら?
- 母が行動しなかったら?
- 会いに来てくれる友がいなかったら?
- 友が「あなたが生きているだけでいい」と伝え続けてくれなかったら?
たくさんの幸運が重なって、私は今を生きています。
本当に今、感謝の気持ちでいっぱいです。
ちなみに、治療のために2年ほどは、かなりの量の薬を処方されていました。
その後、3年ほどかけて薬の量を減らし、再発防止のために1種類だけ薬を継続していました。
妊娠中は薬が飲めなかったので、毎月1回メンタルクリニックに通院。産後は1ヶ月で薬を再開しました。
そして、昨年8月、医師に相談して、思い切って薬を終了。今のところ、なんとか大丈夫そうです。
今、うつ病真っ只中のあなたへ
ベタですが、明けない夜はありません。
本当です。たとえ夜が長くても、いつか必ず。
だからどうか、少しでいい。自然を感じてみてはいかがでしょうか。
星空や沈む夕日を見るだけでも、窓を開けて風を感じるだけでもいいのです。
最初は何も感じないかもしれません。
ですが、続けるうちに涙がこぼれることや、口元に笑みが戻ることだってあるのです。ほんの少しだけ、心を動かす体験をしてみてください。
私は、少しずつ、本当に少しずつ感情が戻ってきました。
もちろん、「自然を感じる」のは今すぐじゃなくていいのです。
あなたができるときに、できるだけ。そして、もし叶うならば、どうか隣に大切な誰かを。
今、うつ病の誰かを支えている方へ
もし、まだ医師の話を聞いていないなら、一度いっしょに病院へ行ってください。わからないことはどんどん質問してきてください。
どんな風に接していいかわからないときは、ただ側にいてあげてください。
そして、うつ病についてたくさん勉強してください。うつ病は「気の持ちよう」と考えているならなおさらです。敵を知らねばはじまりませんよ。
とはいえ、あなた自身が頑張り過ぎないようにしてください。矛盾しているかもしれませんが、のんびりゆるーくの気持ちで。
ちなみに私の母は、最初
「うつの薬なんて飲んだら廃人になる」
「なんで、もっと前向きに考えなよ!」
「辛くても頑張るしかないじゃん」
といった言葉をくれました。そうか、ダメなのかと、かなり気持ちが追い込まれました。
しかし、うつについて勉強した後は、がらっと変わりました。
私の心に寄り添い、さりげなく支えてくれるようになったのです。
一点だけ、母が私に強制したこと。それは、うつ病にはバナナが良いと聞いてから「毎日バナナ」です。今となっては良い思い出ですが、徐々に回復するにつれて、バナナが嫌いになりかけたこともあります…笑
おわりに
最初にお伝えした通り、私は医師でもカウンセラーでもありません。だから、絶対にこれがいい!なんて言えません。
こんな人もいるよ…と知ってただければ幸いです。